税理士受験生へのメッセージ

税理士法人ほはば 代表税理士 木村健太

15年ぐらい前のことですが昨日のことのように覚えている私の税理士受験の日々をまとめました。

試験合格後、数年経って独立し、現在も共同で代表をつとめるパートナー前田興二とともに税理士法人ほはばを立ち上げ、 今、自分がやりたい仕事を自分が選んだ従業員たちと一緒にできている幸せはすべてあの頃の努力があったからだと思っています。

平成11年税理士試験

受験・・・平成11年8月
発表・・・平成11年12月
受験科目・・・簿記論(結果×)

※大学卒業後新卒で入社したシステム開発会社在職中にはじめての税理士試験に挑戦しました。

職場には内緒で受験(仲の良い同期にだけ言っていた気がします) 1月からの速習クラスでクラス内では成績優秀 本試験の手応えはまあまあ

今から思うとどれぐらい勉強したらよいか等、なにもわかっていなかった気がします。

平成12年1月に科目ゼロの状態で転職活動をしました。 未経験・科目ゼロで受け入れてくれるところは少なく転職活動は苦戦しましたが、 運よく大阪守口市の平尾先生に採用していただきました。

もし、1科目でも科目合格があったら、違う会計事務所に就職していたかもしれません。

そうなると税理士になれていたかどうか? そういう意味ではこの年の簿記論は不合格でよかったです

平成12年税理士試験

受験・・・平成12年8月
発表・・・平成12年12月
受験科目・・・簿記論(結果×)、財務諸表論(結果○)


会計事務所への転職1年目 周りの理解がある中での受験 実力的には簿記論はまず大丈夫 財務諸表論はボーダーという感じでした。 実際、試験の出来もそんな感じでした。

発表日(郵送で結果が届きます)は平日でした。 17時定時ですが家に帰るのが怖く残業していました。 残業しているのを平尾先生に見つかり「結果見るのが怖いから帰りたくない」と言ったら怒られました。

家に帰って結果見て1科目ですがはじめての合格

泣きました。

家族、友人、前の会社の同期、先輩 携帯電話に登録しているほとんどの人に電話しました(当時はまだメールが一般的ではなかった)多分、ほとんどの人が税理士になったと勘違いしたと思います。

財務諸表論の合格はラッキーでした。 この年からなぜか財務諸表論の合格率だけが異常に高くなりました。

平成13年税理士試験合格発表

受験・・・平成13年8月
発表・・・平成13年12月
受験科目・・・簿記論(結果○)、消費税法(結果×)

いよいよ税法
税法を勉強できることがうれしかったです。

本番、簿記論は完璧といえる出来
しかし消費税法はまったく歯が立たず 運がよければ合格できるかも?というレベルにはあると思っていたのですが 問題の意味さえ理解できず税法の壁を思い知りました。

発表日の夜は学校の授業 平尾会計事務所の同僚だった竹本さん(現在、ほはばパートナー税理士)と一緒に西中島で所得税法の授業を受けていました。

この頃から竹本さんと一緒に勉強することが多くなってきました。

授業中、家からのメールで簿記論の合格を知りました。 ホッとしました。 授業終了後、西中島の居酒屋で祝勝会 竹本さんもその年簿記論合格していたのですが家と連絡が取れず一緒に喜ぶことはできませんでした。

平成14年税理士試験合格発表

受験・・・平成14年8月
発表・・・平成14年12月


勉強科目
所得税法(平成13年9月~12月 一般クラス)
消費税法(平成14年1月~7月 上級クラス)
相続税法(平成14年1月~7月 速習クラス)


受験科目・・・消費税法(結果○)、相続税法(結果×)

税法三昧でいよいよ税理士試験らしくなってきました。 この頃からのことは今でもより鮮明に覚えています。

科目選択の都合上、所得税法は年内で断念

消費税法は完璧に仕上げました。

相続税法は速習っていうのが無謀でした。 相続税法は受験生のレベルが今までの科目と全然違います。 勉強の仕方、合格の仕方に熟知した4科目持ちが多いです。 実は講座申し込み時、大原の先生に「速習クラスは働きながらでは無理」 と言われたのですが「無職です」と嘘をついて申し込みました。

本試験当日

消費税法
とんでもない問題でした。 帰路試験会場から駅までの道中、ショックで意識が飛んでいました。 歩きながら後方から子供の泣き声が聞こえたので振り返ると子供が転んで泣いています。 私が気づかず子供を蹴っ飛ばしていたようです。 お母さんに平謝りしたところでやっと意識が戻りました。

その後、翌日の相続税法の試験に備え、大原梅田校に寄って自習をしていたのですが 何も手につかず泉の広場からJRまでの地下街を泣きながら歩いていました。

「これだけ勉強しても駄目か。こんなん絶対無理。もうやめよ」

相続税法
前日のショックが癒えない中、税理士試験の花形科目国税3法の受験日である第2日目、 消費税法と違い、半分記念受験のため気は楽な受験でした。 できるところだけはきっちりとゆっくり慎重に問いていきましたが30分余りました。 試験時間が余ったのはこのときが最初で最後です。

発表日
午前中、竹本さんは家から合格の連絡がはいり一日浮かれていました。 そして夕方、ついに家から消費税法合格の連絡。うれしかったのは確かです。

でもそれ以上に「はじめての税法合格でなんとかなるかもしれない」という希望が出てきた瞬間でした。

この年から不合格科目には A(おしいレベル)~D(採点除外レベル)までの ランクが出るようになりました。 相続税法は C(一応採点しましたが・・・レベル)でした。

この年の消費税法もそうですが、税法で合格した科目はすべて試験直後、絶望を感じていました。

平成15年税理士試験合格発表

受験・・・平成15年8月
発表・・・平成15年12月


勉強科目
法人税法 (平成14年9月~7月 上級直結→上級)
固定資産税(平成15年1月~2月 一般クラス)


受験科目・・・法人税法(結果○)

「神様 1科目だけ運で受かる科目があるなら法人税法にしてください。」 5月ごろから自習室でずっと祈っていました。 そして神様は願いをかなえてくれました。

固定資産税はこの年一気に5科目を狙っての選択でしたがもちろん出来るわけがありません。 竹本さんと一緒に3月から授業に行かなくなりました。

法人税法
きつかったですね。 じん麻疹が出始めたのもこの頃からです。 今も嫌なことがあるとすぐじん麻疹が出ます。

本番
理論・・・これしか出来ないという奇跡の2問、完璧にできました。
計算・・・そこそこ

今思えばこの出来なら当然合格です。 しかし試験直後は「こんな理論誰でもできる。計算勝負だから勝ち目なし」 と発表までまったく期待していませんでした。

発表日
夕方家から合格を知らせるメールが届きました。 信じられなかったので事務所の誰にも言わないまま、堪えても堪えきれない喜び(笑い)をなんとか堪えながら後輩T君と一緒に退社

T君と梅田の阪急でちょっと買い物をし、JR大阪駅でT君と別れてから家に電話。 間違いでないことを確認し、すぐに平尾先生の自宅に電話。 平尾先生と先生の奥様にに喜んでいただき合格の実感がわいて来ました。

法人税法の合格は運が良かっただけです。 予備校での成績はひどいものでした。上位70%(つまり下から数えたほうが早い)ぐらいでした。

でも 法人税法を一緒に勉強していた竹本さんが、この本試験当時を振り返って言うには
「最後まで諦めてなかったよなあ」

はい、まったく諦めてなかったです。

平成16年税理士試験合格発表

受験・・・平成16年8月
発表・・・平成16年12月


勉強科目
法人税法 (平成15年9月~12月 上級)
固定資産税(平成15年9月~12月 一般)
相続税法 (平成16年1月~8月 上級)


受験科目・・・相続税法(結果×)

15年9月
法人税法は合格しているとは思っていなかった。 「来年一気に税理士作戦」で  再度 今度は本気で固定資産税の勉強開始。

15年12月
まさかの法人税法合格

さて1月からどうするか 科目選択悩みました。

そのまま固定資産税か でも仕事でほとんど使わない すぐ合格できたらいいけれど何年も勉強するのは自分のためにならない

平尾先生に相談
相続税法に再チャレンジすることになりました。 背中を押してもらうための相談でした。

相続税法
勉強は楽しかったです。 5月頃から成績も伸びてきて、試験前にはなんとかなるレベルまでもってこれました。

本番
計算で致命的なミスをしてしまいました 「法律の世界では誕生日の前日に年齢が1歳あがる」 1月8日誕生日の人は、1月7日に年齢が1歳あがるんです。

知りませんでした

発表日
リーチなのでインターネット上で合否が確認できます。 自分で見る勇気はないので 前職の先輩Hさんに頼んでいました。

発表時間の9時を過ぎてもHさんから連絡がありません。 10時を過ぎてもありません。

忘れているのかな? 急な会議かな?

違うな

駄目だったんだな

10時30分ごろ 我慢できずこっちからメールしました 「どうでしたか?」

Hさんからすぐに返信がありました。

「なかったな。今晩飲みにいこか」

平成17年税理士試験合格発表

受験・・・平成17年8月
発表・・・平成17年12月


勉強科目
相続税法 (平成17年1月~8月 上級)


受験科目・・・相続税法(結果 合格!)
17年1月~8月
周りの人に助けてもらいながら、とにかく相続税法を受験生の誰よりも勉強しました。

本番
前日は会場の関西大学近くのビジネスホテルに宿泊 家からでも会場まで1時間ほどですが試験に集中するためそうしました。

試験会場が平尾先生の母校「関大」というのにも縁を感じました。

試験は完璧

のはずでした。

ところが あの年受験した人がいたらわかる奇問 理論問1「相続税法では~」 この文言を完全に見落としていました。

帰りの阪急電車で泣いていました。 30過ぎたオッサンが平日の昼の3時に電車の中で号泣

「頑張るのはやめよう」と思いました。

すべてをかけてきても たった一つのミスで終わりなんてやってられない

4科目持ちなので受験をやめる勇気はなかったけれど、来年からは違う仕事も考えながら適当に受験しようと

発表日
予備校の模範解答も真っ二つに割れた理論問1

結果オーライ 見逃して正解でした。 ちゃんと見ていたら落ちていました。 なんたる好運。 運で二つも合格しました。

そしておそらくこの年の相続税法はトップ合格だったと思います。 (誰にもわからないこと、なんとでも言えますが・・・)

発表当日は金曜日、事務所で朝の掃除がある日です。

1階トイレを清掃中 8:35 家から合格を知らせる電話

うれしすぎてよくわからなかったです。

3階の平尾先生の所長室へ行って 平尾先生と一緒に 国税庁ホームページにアクセス 名前を確認

平尾先生の机に顔をつけて泣きました。

平尾先生が何かいいながら 背中を叩いてくれました。 所長室を掃除していた 先輩のNさんも おめでとう と言ってくれました。

体験記は以上となります。

税理士試験終了後いくつかブログを書いていました。 この体験記はそのときのブログの記事を一部編集しながらまとめたものです。

いま読み返しても涙が出てきます。

自分で選んだ道でありながらもゴールが見えない日々の辛さは経験したものにしかわかりません。

私が合格できたのは家族、一緒に勉強してくれた竹本さん、その他たくさんの方の支えがあったからですが、一番は独立するまでの11年間勤務した平尾会計事務所所長の平尾先生のおかげです。

先生には今の私のすべてをつくってもらったと思っています。 仕事と勉強の両立、夢のような環境を与えていただきました。

最初の財務諸表論の合格から5科目目の相続税法の合格まで、平尾先生に報告したときに毎回先生が自分のことのように喜んでくれていたことが今でも思い出されます。

私も平尾先生と同じことをしたいと思っています。

よく税理士試験の合格はゴールではなく、スタートだといいますが私はそうは思いません。 合格を目指しているのだから合格はゴールです。

税理士法人ほはばで一緒に働いてくれている人もそうでない人も、私は税理士受験生を応援しています。 何か試験のことで悩みがあれば気軽にメールください。

これを読んでくれた皆さんが税理士というフィールドで私と会ったときに声をかけてくださる、 そんな日が訪れることを心待ちにしています。

2016年10月5日







その他、お困りの事がありましたら「ほはば」におまかせ下さい。

会社概要

税理士法人ほはば
東京本社
東京都港区三田1-4-28 三田国際ビル18F
大阪支社・会計センター
大阪府大阪市北区梅田2-4-13 阪神産經桜橋ビル6F
福岡支社
福岡県福岡市博多区博多駅前3-28-3
三州博多駅前ビル5F
共同代表者
前田 興二(税理士登録番号 第91762号)
木村 健太(税理士登録番号 第105716号)
竹本 正登(税理士登録番号 第115330号)
顧問
税理士 小松 則男(元東京国税局査察部次長・元麹町税務署長)
税理士 高橋 昭夫(元東京国税局査察部 実施担当 統括国税査察官)
パートナー
税理士 阪部 功二(税理士登録番号 第123197号)
税理士 久保田 佳樹(税理士登録番号 第134422号)